夏馬の眼

心に残る本や映画のお話しです。

『眼の誕生』――アンドリュー・パーカー

言わずと知れた名著である。

なぜカンブリア紀に生物の爆発的な多様性が起きたのか?に対する回答が、「眼の誕生」の意味するところなのだが、実を言うと、カンブリア紀についてこれだけテーマを絞って書かれた本というのは、本邦ではこれしかない。(昨年の夏、久しぶりに『意識の進化的起源』が出たが、これも視覚の獲得を基礎としている)

視覚が生まれるまでは、世界に色はなかった。

当たり前である。見る者がいない世界に、色などあるわけがない。生物学的に言えば、色を制御しようとする生き物はいなかった、と言うべきだろうか。つまり、何色でもいいとなった場合、生物は色を選択しない=固定化しない=遺伝子で制御しない=出るがままに任せる、という具合であったわけである。

そこに見る奴が現れた。見る奴は色と形を世界認識の手段に使いはじめる。ここから想像できることは山ほどある。例えば、保護色(カモフラージュ)がある。擬態(ミミクリー)がある。警告色がある。そこには『意識の進化的起源』が述べるように、予測があり、その裏切りがあり、またその予測があって、世界はややこしくなった。もちろん、臭覚も聴覚も騙す。が、視覚はなによりもシーケンシャルな情報ではないという点で、他の感覚器官と大きく異なるのである。

カンブリア紀の生物は、なによりもその不可思議な形態によって、我々を楽しませてくれる。が、なにぶん古い話であり、化石も少ない。従って、研究もなかなか進まない。それだけに、こうした一般向けの本格的な研究所の出版は、ファンにはたまらないものである。

まずは、パーカーの『眼の誕生』を。

次に、『意識の進化的起源』を。

是非、そのように読み進めて頂きたいと思う。